先々月、NovelAIなるものが公開された。 そしてさらに巨大言語モデルなるものが開発されているという。近年はTransformerベースの手法が非常に強力なので、その周りの研究は今後も盛んになっていくと思う。
twitterでよく言われているようにこの手のツールが仕事を『奪う』『〇✕をしている人は終わった』みたいな議論がたまにされているが、僕個人としてはそのようなセンセーショナルな書き方は良くないと感じている。個人的な考えとして、変わるのは確実だが終わりはしないと思う。そして、検索やレコメンドの高精度化が個人の開発者・創作者に向かい風になるような気がしている。
向かい風と書いた理由について。たとえばあるユーザーが『私を満足させるようなXXのイラストを見たい』といろいろなページを探すなかで、いろんな人の作品を”偶然”にも目にする機会は多い。でも、これから画像処理や言語処理の精度が高くなればなるほど、このような機会は失われると思う。偶然にも普段なら入ることのなかった小道に迷い込む人は減っていくだろう。いわゆるセレンディピティというものが減っていくと思う。
個人の開発ブログやQiitaなども同様かもしれない。偶然、面白いことをしている人を見つける可能性は前よりは少なくなるかなあ。
↑までを去年の12月に下書きにしていたのですが、GPT4が出た今、せっかくなのでGPT4にも質問をしてみました(お約束感)。ただ、なんというか優等生のような回答しか返ってきませんでした笑。
まあ推薦アルゴやGPTのようなモデルが出したアイテムや商品は、実際に素晴らしいものだと思う。でも全員がそういうアルゴリズムに最適化して商品や創作物を作る人ばかりになってはほしくないとも。Youtubeのサムネは似たものが多いと感じることがたまにあるけれど、それが創作物の中身にまでは及んでほしくないんですよね。
あと、なんとなくこれまで長く継続してきたブログやコンテンツは逆に価値が高まるともぼんやりと感じる。イラストや解説記事を簡単に作れるから価値が無くなったという人が多いし部分的にはそうだとも思う一方、大量の生成物がある中でゆるぎない価値となるものは時間だと思う。長く継続し確立された信頼や人気は、相対的に希少なものになるのかもしれない。つまり、ひたむきさに価値が生まれたのかも。
アルゴリズムに推薦されたものを素直に消費するのもいいかもしれないけれど、やっぱりコミティアとかなろう小説とか小劇場で面白い作品を発掘するのが一番わくわくするな。コミティア行こう。